新年のcoincidence「偶然のできごと」
大寒も過ぎ、いよいよ寒さも佳境に入ってきました。春の訪れが待ち遠しい今日このごろです。
昨日の日曜日、所属する研究会の新年第一回が予定されていたのですが、それが事情により急きょお休みになりました。ただ、スタッフミーティングは行うとのことで出席のために小雨の中を大阪に出かけて参りました。
事情を知らずに参加した私は、そこである身近な先生のご親族の訃報を耳にしました。あまりに突然な出来事に言葉を失い、渦中の先生のご心中を察することさえできず、混乱してただ茫然とするばかりでした。人生のあまりに過酷な試練を与えることに憤りさえ感じました。
一夜明けた今朝、朝食を取りながら、その先生のことを思っていました。
「今この時をどんな思いで過ごされているのだろう」
もっとも身近な人を突然失った場合、人はどのようにして乗り越えて行くのでしょうか。一体、どういう思い方をすれば克服できるというのでしょうか。
そんなことをぼんやりと考えながら朝の食卓に坐っていました。
「人は死んだらどこへ行くのだろう」
あらためてそんなことにも考えは及びました。
午前中の治療を終え、昼休みに治療所のパソコンでYou Tube開き、何気なく音楽の動画を見ていました。ちょっと目を離してふと気が付くと私の指定していない別の動画が始まっていました。
知らないうちにどこかをクリックしていたのかもしれませんが、大きな疑問に対する何かが示唆されたようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=5YzJ9QwdLcY&t=0s&list=FLGz1YyBuNULJ-xDM7NuOldg&index=20
今、我々周囲の者に掛けられる言葉は何一つないと思いますが、ひたすら心よりご冥福をお祈りいたします。
この方の経験談が本になっているようです。図書館で借りてきました。
「かけがえのない生命のことを伝えたい」 講演会 と 「生命のメッセージ展」
12月12日(水)の午後、加茂川中学校の体育館にて、生徒と保護者対象の講演会が行われたので行って参りました。2012年4月23日に亀岡市で起きた登校中児童ら交通事故死事件のご遺族の方がお話しになりました。
実の妹さんとおなかの中の赤ちゃんをこの事故で失った心の痛みは六年半経過した今でもまったく癒えていないということが壇上のお話ぶりからひしひしと伝わってきました。しかし、その半面で大切な生命が失われたことを決して無駄にはしまい、という固い決意も感じました。
生徒さんたちも演壇の話者とスクリーンに集中しており、誰一人として騒ぐ子はいませんでした。今の中学生たちは学校で開かれるこのような講演会に恵まれています。心をはぐくむ教育に力を入れていることがわかります。これも昭和の荒れた時代の反省が活かされているのかもしれません。
お話の後で壁際に展示されている等身大のパネルも見せて頂きました。不慮の事故や犯罪で尊い命を落とした子供たちの写真と靴とが展示してありました。このくらいの身長のこんなお顔のお子さんがいたんだ、その子が…ということがじかに伝わってくるつらい展示でした。ご両親や遺族の方のメッセージが添えられており、大切な人を亡くした人の心の苦しみと、亡くなったご本人の無念さが見る者の心に刻まれました。
悲しい気持ちに言葉を失い妻とともに静かに会場を後にしました。今ある幸せを感じ取るためにも足を運んで良かったと思います。有難うございました。
林道の行き止まりで、珍しいニホントビナナフシに出会う
多くの林道が車両通行止めとなったこの半島でも、まだ一部走行可能な裏道が残されている。春に続き、その探索の二回目である。
今回も目の付けどころは、スカイラインにつながっている(ように見える)一般道が実際にはどうなっているのか、である。有料道路にもかかわらず、なんらかの事情で外部とつながったままになっている不思議な裏道がいくつか存在している。
出入りが厳格なはずの有料道路にこのように奇妙な道がつながっている、そのユルさが面白い。観光客が絶対に訪れないみちである。「径」という字を充てたくなる。実に他愛のない道楽である。
中伊豆の冷川から少し西へ行ったところに「伊豆平パールタウン」という別荘地がある。昭和の頃に紀州鉄道がスカイラインに近い山を開発して作った静かな「タウン」である。
この青い標識から左へ坂を登るとその「タウン」がある。
人の姿は見えず、ただ広い空と紅葉が出迎えてくれた。昭和の時間の続きがそのまま流れている。
さて、Google Mapを見ると、この街からスカイラインに向かって数本の道がつながっているようにみえる。地元の人が使う農作業や林業の道であろう。
とにかく行ってみる。
誰もいない。
しばらく行くと…なんと雑木林の中で道が終わっていた。Google Mapにはスカイラインにつながる道が書かれているのに。
その先がどうなっているのか知りたくて、バイクは置いて歩いてみることにする。
伊豆には熊がいないのでその点は安心だが、一つ心しておかねばならないのはハンターに獲物に間違えられないようにすること。
けものみちのような所をしばらく下って行くと、
なるほど、地図にある簡易舗装路に合流。
更に下って行くと、
立派な竹林を抜けて行くと…
スカイラインにつながっていた!
なるほどと納得し、汗びっしょりになってバイクの所まで戻ることにする。
かつては石仏だったのか?苔むした路傍の石。
バイクまで戻り、誰もいない林道の行き止まりで休息を取る。
さわさわと木立が鳴る音だけが聞こえる。
夏ならクワガタムシがいそうなクヌギの木の股を何気なく覗きこんでみると、に何か緑色をした虫が横たわっている。初めは冬を迎えて今まさに死にゆくカマキリだと思った。しかし、カマがない。翅もない。なんだこれは。見たことのない虫である。
頭部が独立していて、まるで妖精のようだ。
木の葉で脚をつついてみるとわずかに動いたが、脚の曲がり方から死は近い。それを待つかのように、一匹の大きなヤマアリが周りを歩き回っていた。
林道の行きどまりで一匹の珍しい昆虫の臨終に立ち会ったわけだ。
帰宅後に調べてみると、ニホントビナナフシという虫だと分かった。ナナフシの中では珍しい種類なのだそうだ。
冬木立死にゆく虫の膂力かな
伊豆の魅力はこの何もない感じだ。
伊豆の陶芸家・天野雅夫さんを訪ねて~「日のしたゝるところ」で出会った「伊豆ブルー」の癒し~
大室山頂上より伊豆大島を望む
初冬の休日、伊豆半島に一人の陶芸家を訪ねた。大室山の麓で「伊豆ブルー」という美しいコバルトブルーの陶器を焼いておられる天野雅夫さんという方だ。
私がこの伊豆ブルーに出会ったのは、たまたま古書で入手した『伊豆半島やきもの歩き』という本であった。そこで見た美しい藍色の器が目に焼き付いて忘れられなかった。買うのなら作った人から直接買いたいと思った。
メルアドへ直接メールを送ると翌朝丁寧な返信が届いた。
「本が出版された当時と違い、今は伊豆高原に移住し規模を縮小して小さな窯で伊豆ブルーを制作しています。住まいの一角に窯小屋を作り、その中にわずかな作品を展示しています。それでよければおいで下さい。修善寺温泉に〈三洲園〉という作家物の陶芸専門店がありまして、そこへ行って頂くと私の作品がよりたくさんあります」とのこと。日時をお知らせして翌日の午後早速伺うことにした。
狩野川に沿ってレンタルバイクを走らせ、まずは教えられた修善寺の三洲園さんを訪ねる。修善寺には今まで何度も来ていて、この界隈も歩いたことはあるのだが、立ち寄るのは初めてだ。お店自体は間口も広く立派なのだが、目立つ看板も派手な宣伝もなく慎ましやかなたたずまいである。
お店の奥様に「天野さんから聞いてきました」と告げると歓迎して頂き、店内を案内しながらいろいろ話して下さった。十人以上の伊豆の陶芸家の作品を扱っているが、天野さんのものが最も人気があります、とのこと。
初めて見る実物の伊豆ブルーは、想像通りの美しさであった。一通り作品を見せてもらい、「これから天野さんの工房を訪ねて明日また帰りに立ち寄ります」とお約束してこの日はお暇する。
大室山を周りこみ、その南麓に天野さんの工房を兼ねたご自宅を訪ねた。メールの印象通り穏やかな感じの方だ。陶芸家らしい大きな手が印象的である。ご挨拶もそこそこに、早速玄関外に立てられた小さな工房に入れてもらい、その中に飾られている作品を見せて頂き作品の説明を受ける。
「この青色はご存知の通り、コバルトの色なんですが、偶然にできたものです。後から専門家に調べてもらったら、もともと土の中にコバルトが多く含まれていたのです。普通は釉薬(ゆうやく)にコバルトを含ませてこの色を出すのですが、これはそうではなく、伊豆の土そのものに含まれているコバルトが高温で焼くことで発色しているのです。」
三洲園には無かった作品も多々あった。中でも一輪挿しには強く惹かれた。私の決断は早かった。
帰宅後、治療所の待合室の壁に。オキザリスの花を入れて飾ってみた。
天野さんの工房の中
そして、もう一点、目に止まったものにマグカップがあった。手に取って見ている私の背後から天野さんが言われる。
「西岡恭蔵という人をご存知ですか。もう亡くなったのですが。昔、矢沢永吉などの曲の作詞をたくさんされた作詞家で、私の友達でした。下田が好きで天城の私の家にもよく来ていました。この〈NO NUKES〉は反原発という意味で、生前の彼の思いを込めたものです。」
「NO NUKE」の文字の上は、翼のある象の紋章だそうだ。
世代が違うこともあり、西岡恭蔵氏のことを私は存じ上げなかったが、ソロになった直後の矢沢永吉氏の歌には小学生の頃からカセットテープで馴染んでいたので、自分の中ですっと話が繋がった。色も形も気にいったので、これも頂戴することにした。(帰宅してから調べてみると、有名な「黒く塗りつぶせ」という曲は、作曲が矢沢永吉、作詞が西岡恭蔵であった。)
大きな一輪挿しは後から郵送してもらうことにして、マグカップを新聞紙に包んでもらいリュックの中に大事に入れ、お礼を言って辞去する。「また来ます!」
翌朝、「(眼前にそびえ立つ)大室山の姿を日々眺めるのが楽しみ」と天野さんが言われたその大室山にリフトで登ってみる。十年ぶり四回目くらいだろう。
外輪山を時計回りに半周する。ここが伊豆で最もいい場所ではないか、と改めて思う。南側まで行くと、海に向かって俳人・鷹羽狩行の句碑が建てられている。私も私の母もこの句が大好きである。
伊豆は日のしたゝるところ花蜜柑
近くの適当な場所に座を構え、ポットに入れてきた珈琲を〈NO NUKES〉に移し替えて相模湾を眺めながら飲んでみる。ものの味が景色と器でこれほど変わるとは。
「日のしたゝるところ」で出会った「伊豆ブルー」は、私の第二の故郷を象徴する色となった。海と空と同じく、自然界の青だ。
後日、西岡恭蔵氏のことをネットで調べてみると意外な事実が分かった。
心よりご冥福をお祈りします。
Queen フレディ・マーキュリー伝記映画 「ボヘミアン・ラプソディ」
大阪へ出かけた帰りに、難波のTOHOシネマズなんば本館で標題の映画を見てきました。きっかけは新聞記事で取り上げられていたこと。ファン世代以外の人々にも好評とのことで、これはぜひ見に行かねばと足を運んでみました。
言わずと知れた伝説のロック歌手フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury、1946年9月5日 - 1991年11月24日)の伝記映画。ドキュメントフィルムではなく、映画として撮られたものです。私も十代の終わりにその噂を耳にしたり、雑誌などで姿を見た記憶はありましたが、すでに別の音楽に傾倒していたので、自分の中では長年ほとんど忘れ去られた存在でした。
そんな立場の者が今回この映画を見た率直な感想は、
〈少しでもその名前を見聞きしたことのある人にはぜひご覧頂きたい〉
ということ。クイーンやロックのファンでなくてもぜんぜん問題ありません。一人の人間の生きざまの記録として非常に面白く見ました。二時間の上映時間も長くは感じない出来栄えでした。流涙を禁じ得ず、という場面もありました。
ラストのLive Aidに出場する直前、厳格な父と不良息子が和解し抱擁する場面に父が言った言葉が印象的でした。
「Good thought,Good word,Good deed」
異端者として疎んじてきた息子が、ようやくその言葉に見合う人間になったことを父は認めたのです。
細かいことですが、日本贔屓だったフレディの自室が映る場面で「金閣舎利殿御守護」のお札が再現されていたことには驚きました。
映画は俳優による再現になっていますが、本物の映像は↓こちら
Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version] - YouTube
おすすめ映画 「教誨師」 アンコール上映決定 京都シネマにて12/15(土)-12/28(金)
先月何本か見た映画の中で、印象深いもののもう一本がこの「教誨師」です。 今年2月に急逝された大杉漣氏が主演された最期の作品となりました。この人にしか演じられないと思わせる、氏の代表作の一つにもなりました。
死刑囚の最後の時間を共に過ごすということがどういうことなのか。死にゆく者たちが何を考え、送りだす者はそれにどう対応してゆくのか。宗教に何ができるのか。人が人を裁いて死に導くことの是非、結局人は人の最期に何ができるのか、などにご興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
場面は一貫して拘置所の中の一室での対話に終始しますが、観客を退屈させるということなく、ラストまで導いてくれます。臨床心理士(心理カウンセラー)を目指している私の患者さん(30代)に教えてあげたら、さっそく観に行かれ、「感動して泣いてしまいました。観てよかった」との感想を頂きました。そのようなお仕事をされる方には特に印象深い一本になるのかもしれません。私自身も中学生の時に「死刑制度に反対する」という作文を書いているので、この映画で心の底に眠っている何かを思い出した気がします。
京都以外の地域でもきっと再上映されることと思います。大杉漣氏のご冥福を祈るとともに、一人でも多くの方に観て頂けたらと思います。
「大杉漣さん最後の主演作『教誨師』、ご好評につき、アンコール上映が決定いたしました! 12/15(土)-12/28(金) 2週間限定上映です! 見逃された方、リピーターの方も、みなさまのお越しをお待ちしております!」
賀茂川の件。合法的に行われる「環境破壊」、「水生生物の殺戮」。
「環境破壊」というより、「水生生物の殺戮」と表現した方が的確、それほどむごたらしい。それが過去の姿を知る地元民としての私の思いだ。このことを如実に物語る写真が以下。
鯉は本来、水草の生い茂る岸辺で産卵する。これでは無理。
水の中を覗いてみても生物の姿は見えない。
どうしても見ようとするなら、顕微鏡で微生物を見るしかない。
もはや川ではない。
瓦礫の山と淀んだ溝。
北大路橋のすぐ上流域。
10年ほど前までは無数の小魚が泳いでいたのを北大路橋の上から飽きることなくいつまでも眺めていたものだ。
こんなことが毎年繰り返されている。これでは生き物は消滅してゆく。あまりの配慮の欠如に心が壊れそうだ。
環境は育むには時間がかかり、壊すのはあっという間だ。
環境を壊せば、人の心に跳ね返ってくる。
カラスは何を思っているのか。
(2017年4月・5月撮影)