杉山和一総検校の江島杉山神社【後編】 

境内奥の「岩屋」の入り口 「岩屋」とは?

 資料室を後にし、本殿に参拝した後で、右手に回ってみると何やら奥の方に岩屋の入り口の様なものがありました。よくわかりませんがとにかく入ってみます。

「岩屋重修記」

 入ってすぐにこのような石板がありました。現代語に書き直してみます。

 

        「岩屋重修記」

 当社は相州(藤沢市)江之島江島神社の御分社であり、元禄六年(1693年)六月十八日、五代将軍徳川綱吉公の台命(たいめい 貴人の命令のこと)によって、総検校杉山和一大人が創建したものです。 

 御本社(相州の江島神社)における信仰の根源は、御霊窟という奥宮にあるのですが、当社はこれを模倣して岩屋を築き、寛政五年(1793年)十月に修理を行いました。

 その後、安政・大正の両大震災にも被害は無く、昭和に至りましたが、同二十年三月戦災の劫火によって天井の石に亀裂を生じ遂に崩れ落ちてしまいました。

 元の状態を壊してしまわず、鉄筋コンクリートによって補強し、山を高くして植樹も選び、風致を増して、ここに古跡を復元しました。

 また境内の池は堅川から隅田川に通じ、遠く江之島の海辺にも連なり相州の江島神社にもつながっています。魚鱗の閃きが美しかったものですが、今では川水も汚染されて往時の面影はありません。これもまた昔に戻そうと改修しました。よってその由来を伝えるべく、ここに一文を記すものであります。

 昭和三十九甲辰年十一月十八日

 江島杉山神社宮司 三木常正 石井玉泉謹書

 

相模の元祖江ノ島神社に対する篤い信仰が見て取れます。検校の御遺徳が偲ばれる聖跡です。

 

 

 

 音楽・学問・弁舌・福徳にご利益あり、と書かれています。全部自分に関係があるので思わず手を合わせ、お賽銭もお入れしました。

「学問」はもちろん治療全般、そして俳句のこと

「弁舌」は患者さんへのハートウォーミングな対応

「音楽」は今も細々と取り組み続けているジャズのお勉強

「福徳」はすべてを含んだ総合的なことです。

 

杉山検校を模したと思われる石像


 

 

 鍼灸の業界に携わる人は上京の折に是非一度訪ねてみてはいかがでしょうか。先人の思いを知れば、自分の職業に対するプライドとモチベーションをより一層高めることができるかもしれません。

石田鍼灸 京都北山 (ishidashinkyu.net)