弘法大師空海の故郷、香川県善通寺の宿坊に泊まる
お寺の名前がそのまま市の名前になっているほど、善通寺は由緒正しい大寺院です。同寺院のホームページでは、「京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつ」と紹介されています。目の前に比叡山を望む京都市に生まれ育った自分には、傳経大師最澄の方が馴染み深く、こちらのお寺のことはまったく存じませんでした。
訪問のきっかけは、治療に来られる患者さんのお話でした。ちょうど、この七月に私が同じ香川県の塩入温泉で治療合宿に参加していた時、その方は善通寺にて別のセミナーに参加されていたというのです。
そのセミナーというのが、仏教ではなく、ヒンズー教に関するものだったとのことで俄然興味を持ちました。排他性の強い宗教の世界にあって、他の教えを尊重し、場所を提供するという宗教が本来持つべき姿勢に感銘を受けたのです。釈迦もヒンズー教徒であったということですから、根っこは一つという考えに基づいているのでしょう
更にお話を伺うと、敷地内には「いろは会館」という宿坊があり、誰でも宿泊できるとのこと。「是非一度お泊りになられるといいですよ」と言われます。調べてみると、この十月から宿泊料金が格段に値上げされるということが分かったので、この機会に!と電話してすぐに予約を入れました。
日曜日には鍼灸学の定例の講習会を琴平で受講し、その後、夕方から善通寺へ向かいました。当初はJRを利用しようと考えていましたが、運よく先輩受講生のYさんが自家用車で送って下さいました。駅からお寺までは近くないので大いに助かりました。
お礼を言って車を降りた私の目に飛び込んできたのは、そびえ立つ五重の塔、その威容は東寺に引けを取らないほどです。ここは空海がお生まれになった言わば聖地なのです。
本堂に参拝した私を驚かせたのは、ご本尊が薬師如来であったことです。と言うのも、これからまさに私自身がお薬の勉強にも力を入れて行こうと決意した矢先だったからです。なんというタイムリーなことでしょうか!
参拝の後、目の前の売店でこんなものを買いました。
帰ったら早速飲んでみようと思います。
さて、日曜日でもあり、他の宿泊客は二組のみで、いろは会館は閑散としていました。案内されたお部屋は十畳もあり、どこに布団を敷いたらよいのものか、一人では持てあます広さです。部屋の大きな窓からは、戸外に立ち並ぶ伽藍の甍が幾重にも折り重なって眺められ、お寺に宿泊していることを思い出させてくれます。
お風呂も大浴場の温泉で、貸切状態でゆっくりできました。夕食は「準」精進料理といった感じで卵や魚も含まれており、とても美味しく頂きました。
翌朝は五時半から御影堂にて読経が行われました。興味の幅だけは広い私は、早起きしていそいそと参りました。ここは弘法大師ご生誕の跡地に建立されたお堂で、毎朝立派なしつらえの中で老若十人の僧侶によって読経が営まれます。
その間、約五十分。「毎朝こんなにちゃんとしたことをされているのか」と感心するほど素晴らしいもので、肉声と打楽器による音楽会と言ってもよいほどでした。風格のある最年長の僧侶がお経以外にもいろいろと語って下さり、退屈することもなく楽しませて頂きました。女性の僧侶も二人混じっておられ、そのお陰で混声合唱の趣があり、声明の調べは美しく堂内に響いていました。
そしてその後、ご本尊を参拝させて頂き、若い僧侶に導かれるまま階段を降りてゆくと、そこは漆黒の闇の世界。お堂の地下に作られた真っ暗な道を手探りだけで進むのです。子供の頃のお化け屋敷を思い出すほどの恐怖を感じました。これほどの闇は普通の生活をしている者が経験することはまずありません。それほど真っ暗なのです。
左手に壁を感じながら恐る恐る進んでいくと、しばらくして小さな部屋のような空間が現れました。ぼーっと電灯が灯り、空海の声を再現したという男性の声の録音が再生されます。曰く「せっかくこの世界に生まれてきたからには、毎日を大切に生きなさい」というメッセージでした。暗闇の恐怖の後、一対一で語りかけられるその言葉は、録音とは知りつつも説得力に満ちたもので、「まったく仰せの通りです。そうします!」とお返事したくなるほででした。「再生の儀式」なのです。
闇の世界から外に出てくると、もう朝食が用意されていますとのご案内に従い、そちらへ向かいました。高野山がその名の由来である高野豆腐がついていたのは納得させられました。とても美味しく頂きました。
チェックアウトをして敷地内を散策します。釈迦のお弟子たち「五百羅漢」の石像がずらりと並んでいます。かなり個性的な面々です。朝から暑い日、それらのお顔を拝しながら汗をかきかき一周して参りました。
お寺のすぐ近くに、ある人のブログで見た「善通寺名物 本家かたパン」のお店を発見し、立ち寄ってみました。昭和の名残が濃厚に残る店構え。ガラスケースの中に並んでいる商品はパンというよりはお菓子のように見えます。お土産にいくつか買いました。砂糖と生姜の味のする驚くほど硬いお菓子で、歯の丈夫さが問われます。あまりの硬さにびっくりしましたが、慣れてくると懐かしい味が癖になりそうです。老舗が絶えない理由がわかりました。
この後、歩いて善通寺駅まで行き、電車に乗って本州へと戻りました。とても良い体験をさせて頂きました。弘法大師を身近に感じるまたとない機会となりました。
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自宅へ帰って淹れてみた「薬師如来 眼蘇茶(めいきるちゃ)」はまさに生き返るような美味しさで体に沁み透っていきました。甘草(カンゾウ)の独特の甘みが昔飲んだ甘茶を思い出させてくれました。