伊豆の陶芸家・天野雅夫さんを訪ねて~「日のしたゝるところ」で出会った「伊豆ブルー」の癒し~

 

 

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     大室山頂上より伊豆大島を望む

 

 

初冬の休日、伊豆半島に一人の陶芸家を訪ねた。大室山の麓で「伊豆ブルー」という美しいコバルトブルーの陶器を焼いておられる天野雅夫さんという方だ。

 

私がこの伊豆ブルーに出会ったのは、たまたま古書で入手した『伊豆半島やきもの歩き』という本であった。そこで見た美しい藍色の器が目に焼き付いて忘れられなかった。買うのなら作った人から直接買いたいと思った。

 

メルアドへ直接メールを送ると翌朝丁寧な返信が届いた。

「本が出版された当時と違い、今は伊豆高原に移住し規模を縮小して小さな窯で伊豆ブルーを制作しています。住まいの一角に窯小屋を作り、その中にわずかな作品を展示しています。それでよければおいで下さい。修善寺温泉に〈三洲園〉という作家物の陶芸専門店がありまして、そこへ行って頂くと私の作品がよりたくさんあります」とのこと。日時をお知らせして翌日の午後早速伺うことにした。

 

狩野川に沿ってレンタルバイクを走らせ、まずは教えられた修善寺の三洲園さんを訪ねる。修善寺には今まで何度も来ていて、この界隈も歩いたことはあるのだが、立ち寄るのは初めてだ。お店自体は間口も広く立派なのだが、目立つ看板も派手な宣伝もなく慎ましやかなたたずまいである。

 

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お店の奥様に「天野さんから聞いてきました」と告げると歓迎して頂き、店内を案内しながらいろいろ話して下さった。十人以上の伊豆の陶芸家の作品を扱っているが、天野さんのものが最も人気があります、とのこと。

 

初めて見る実物の伊豆ブルーは、想像通りの美しさであった。一通り作品を見せてもらい、「これから天野さんの工房を訪ねて明日また帰りに立ち寄ります」とお約束してこの日はお暇する。

  

大室山を周りこみ、その南麓に天野さんの工房を兼ねたご自宅を訪ねた。メールの印象通り穏やかな感じの方だ。陶芸家らしい大きな手が印象的である。ご挨拶もそこそこに、早速玄関外に立てられた小さな工房に入れてもらい、その中に飾られている作品を見せて頂き作品の説明を受ける。

 

「この青色はご存知の通り、コバルトの色なんですが、偶然にできたものです。後から専門家に調べてもらったら、もともと土の中にコバルトが多く含まれていたのです。普通は釉薬(ゆうやく)にコバルトを含ませてこの色を出すのですが、これはそうではなく、伊豆の土そのものに含まれているコバルトが高温で焼くことで発色しているのです。」

 

三洲園には無かった作品も多々あった。中でも一輪挿しには強く惹かれた。私の決断は早かった。

 

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 帰宅後、治療所の待合室の壁に。オキザリスの花を入れて飾ってみた。

 

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 天野さんの工房の中

 

そして、もう一点、目に止まったものにマグカップがあった。手に取って見ている私の背後から天野さんが言われる。

 

西岡恭蔵という人をご存知ですか。もう亡くなったのですが。昔、矢沢永吉などの曲の作詞をたくさんされた作詞家で、私の友達でした。下田が好きで天城の私の家にもよく来ていました。この〈NO NUKES〉は反原発という意味で、生前の彼の思いを込めたものです。」

 

 

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 「NO NUKE」の文字の上は、翼のある象の紋章だそうだ。

 

 

世代が違うこともあり、西岡恭蔵氏のことを私は存じ上げなかったが、ソロになった直後の矢沢永吉氏の歌には小学生の頃からカセットテープで馴染んでいたので、自分の中ですっと話が繋がった。色も形も気にいったので、これも頂戴することにした。(帰宅してから調べてみると、有名な「黒く塗りつぶせ」という曲は、作曲が矢沢永吉、作詞が西岡恭蔵であった。)

 

大きな一輪挿しは後から郵送してもらうことにして、マグカップを新聞紙に包んでもらいリュックの中に大事に入れ、お礼を言って辞去する。「また来ます!」

 

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翌朝、「(眼前にそびえ立つ)大室山の姿を日々眺めるのが楽しみ」と天野さんが言われたその大室山にリフトで登ってみる。十年ぶり四回目くらいだろう。

 

外輪山を時計回りに半周する。ここが伊豆で最もいい場所ではないか、と改めて思う。南側まで行くと、海に向かって俳人・鷹羽狩行の句碑が建てられている。私も私の母もこの句が大好きである。

 

伊豆は日のしたゝるところ花蜜柑

 

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近くの適当な場所に座を構え、ポットに入れてきた珈琲を〈NO NUKES〉に移し替えて相模湾を眺めながら飲んでみる。ものの味が景色と器でこれほど変わるとは。

 

「日のしたゝるところ」で出会った「伊豆ブルー」は、私の第二の故郷を象徴する色となった。海と空と同じく、自然界の青だ。

 

 後日、西岡恭蔵氏のことをネットで調べてみると意外な事実が分かった。

心よりご冥福をお祈りします。

 

Queen フレディ・マーキュリー伝記映画 「ボヘミアン・ラプソディ」

 

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 大阪へ出かけた帰りに、難波のTOHOシネマズなんば本館で標題の映画を見てきました。きっかけは新聞記事で取り上げられていたこと。ファン世代以外の人々にも好評とのことで、これはぜひ見に行かねばと足を運んでみました。

 

 言わずと知れた伝説のロック歌手フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury、1946年9月5日 - 1991年11月24日)の伝記映画。ドキュメントフィルムではなく、映画として撮られたものです。私も十代の終わりにその噂を耳にしたり、雑誌などで姿を見た記憶はありましたが、すでに別の音楽に傾倒していたので、自分の中では長年ほとんど忘れ去られた存在でした。

 

 そんな立場の者が今回この映画を見た率直な感想は、

 

〈少しでもその名前を見聞きしたことのある人にはぜひご覧頂きたい〉

 

ということ。クイーンやロックのファンでなくてもぜんぜん問題ありません。一人の人間の生きざまの記録として非常に面白く見ました。二時間の上映時間も長くは感じない出来栄えでした。流涙を禁じ得ず、という場面もありました。

 

 ラストのLive Aidに出場する直前、厳格な父と不良息子が和解し抱擁する場面に父が言った言葉が印象的でした。

 

「Good thought,Good word,Good deed」

 

異端者として疎んじてきた息子が、ようやくその言葉に見合う人間になったことを父は認めたのです。

 

細かいことですが、日本贔屓だったフレディの自室が映る場面で「金閣舎利殿御守護」のお札が再現されていたことには驚きました。

 

映画は俳優による再現になっていますが、本物の映像は↓こちら

Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version] - YouTube

おすすめ映画 「教誨師」 アンコール上映決定  京都シネマにて12/15(土)-12/28(金)

   先月何本か見た映画の中で、印象深いもののもう一本がこの「教誨師」です。 今年2月に急逝された大杉漣氏が主演された最期の作品となりました。この人にしか演じられないと思わせる、氏の代表作の一つにもなりました。

 

 死刑囚の最後の時間を共に過ごすということがどういうことなのか。死にゆく者たちが何を考え、送りだす者はそれにどう対応してゆくのか。宗教に何ができるのか。人が人を裁いて死に導くことの是非、結局人は人の最期に何ができるのか、などにご興味のある方は是非足を運んでみて下さい。

 

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 場面は一貫して拘置所の中の一室での対話に終始しますが、観客を退屈させるということなく、ラストまで導いてくれます。臨床心理士(心理カウンセラー)を目指している私の患者さん(30代)に教えてあげたら、さっそく観に行かれ、「感動して泣いてしまいました。観てよかった」との感想を頂きました。そのようなお仕事をされる方には特に印象深い一本になるのかもしれません。私自身も中学生の時に「死刑制度に反対する」という作文を書いているので、この映画で心の底に眠っている何かを思い出した気がします。

 

 京都以外の地域でもきっと再上映されることと思います。大杉漣氏のご冥福を祈るとともに、一人でも多くの方に観て頂けたらと思います。

 

 

京都シネマTwitterより

大杉漣さん最後の主演作『教誨師』、ご好評につき、アンコール上映が決定いたしました! 12/15(土)-12/28(金) 2週間限定上映です! 見逃された方、リピーターの方も、みなさまのお越しをお待ちしております!」

賀茂川の件。合法的に行われる「環境破壊」、「水生生物の殺戮」。

「環境破壊」というより、「水生生物の殺戮」と表現した方が的確、それほどむごたらしい。それが過去の姿を知る地元民としての私の思いだ。このことを如実に物語る写真が以下。

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鯉は本来、水草の生い茂る岸辺で産卵する。これでは無理。

 

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水の中を覗いてみても生物の姿は見えない。

どうしても見ようとするなら、顕微鏡で微生物を見るしかない。f:id:tacoharumaki:20181125075613j:plain

もはや川ではない。

瓦礫の山と淀んだ溝。f:id:tacoharumaki:20181125075639j:plain

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北大路橋のすぐ上流域。

 

10年ほど前までは無数の小魚が泳いでいたのを北大路橋の上から飽きることなくいつまでも眺めていたものだ。

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こんなことが毎年繰り返されている。これでは生き物は消滅してゆく。あまりの配慮の欠如に心が壊れそうだ。

 

環境は育むには時間がかかり、壊すのはあっという間だ。

環境を壊せば、人の心に跳ね返ってくる。

 

カラスは何を思っているのか。f:id:tacoharumaki:20181125075724j:plain

(2017年4月・5月撮影)

当ブログで訴えた賀茂川(鴨川)の環境破壊、京都新聞にも

以前、私が当ブログで訴えたことが先日、京都新聞の記事になった。友人Oさんが教えてくれた。以前、賀茂川の環境破壊に対する憂いを口にしたことを覚えていてくれたのだ。

 

Oさんには私の過去のブログを読んでもらった。「まったく同感、すばらしい」との感想をもらった。いくら私のブログが「素晴らしく」ても、賀茂川の生き物が消滅していれば何の意味もない。

 

「鴨川」は賀茂川下流域の名称である。

 
以下がその記事。
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京都・鴨川の魚類、河川整備で異変 治水と環境保全、両立に課題

2018年11月20日 18:11京都新聞

 鴨川は都市河川でありながら、多様な魚類を育んでいる。しかし、治水を重視した河川整備のために魚が住みにくくなっていて、市民団体や漁協は改善を訴えている。豪雨が頻発する中、治水と環境をどう両立させるかが課題だ。

■豊富な魚類生息も「昔より激減」

 「こんなに魚がいるのか」。鴨川で魚類の生息調査を続けている京都大大学院生の横田康平さん(27)は、2年前に初めて川に潜ったときの光景を覚えている。アユやオイカワ、ヨシノボリ…。水中には豊かな魚の世界が広がっていた。

 今年も30種類を確認した。「調査中に通行人によく声を掛けられるが、みんな鴨川にこれほど多様な魚がいるとは知らないようで、驚かれる」と話す。賀茂川漁協の澤健次組合長(43)は「琵琶湖・淀川水系にいる魚の多くは、鴨川でも見られる」と、魚類の豊かさを語る。

 一方で澤さんは「昔に比べ、魚は激減している。今の鴨川は人工の水路のようになっていて、魚の生息場所や隠れ家がなくなっている」と指摘する。

 治水だけを考えれば、水をスムーズに流すために川は真っすぐで、川底は平らな方がいい。しかし速い流れの瀬や、水深のある淵、砂がたまった砂州など多様な地形がなければ魚は生息・繁殖できないと、漁協や市民団体は口をそろえる。

 潜水調査している横田さんは以前、興味深い光景に出会った。真夏で高水温になった鴨川で、本来は瀬にいるはずのアユの姿が見えず、砂州近くのごく浅い場所に固まっていた。砂州の中を通って冷やされた水がわきだし、そこにアユが集まっていたのだ。同じように、淵の底近くは水温が低く、魚たちが命をつなぐ「避暑地」になっていた。「水深が浅い鴨川は夏に水温が上がりやすく、特に淵が重要だ」と横田さんはいう。

■「落差工」が魚足止め

 川を横断するように段差を設ける「落差工」の改善を望む声も強い。鴨川には40カ所余りあり、川を階段状にすることで洪水時に河床が削られるのを防ぐ役目がある。だが、アユやウナギ、サツキマスといった川と海を行き来する魚が落差工で足止めされ、本来の生息・繁殖場所にたどり着けなくなっている。

 市民団体「京の川の恵みを活かす会」は落差工に手作りで魚道を設け、魚のそ上を助けている。同会は「本来、魚道設置は市民ではなく、河川管理者である府の役割だ」と行政の姿勢を問題視する。

 府は、「魚道の新設や生き物に配慮して砂州を残すなど、環境には一定の配慮をしている」(河川課)とする。一方で、漁協や市民団体が求めるような環境対策が十分にできていないことも認める。河川課は「鴨川は河川勾配が急で、治水が難しい川だ。流域には人口や資産が集中し、水害がおこれば大きな被害が出る。環境は大切だが、まずは治水対策を優先せざるを得ない」と説明する。

 「活かす会」代表の竹門康弘京都大防災研究所准教授は「鴨川の河川整備計画に、どのような環境にしたいのか目標が書き込まれていないのが問題」と指摘。「まず環境目標をつくり、その実現に向けて市民を説得していくくらいの姿勢が必要だ」と行政の奮起を促している。

 (京都新聞記事は以上)

名古屋での半日 タクシーさんとの会話

 お天気のよい初冬の一日、名古屋市千種区にある父方のお墓に父母とお参りしました。名古屋駅からは機嫌のよいぢい様運転手のタクシーに案内してもらいました。おかげで足の悪い父も苦労なくお参りができました。お墓のお花を入れ替え、お掃除もできました。お墓の掃除はなんとも気持ちの良いものです。

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 道中、今年76歳になるというその運転手さんの身の上話を聞きながら行きました。………26年前、離婚した妻に鹿児島の家を明け渡して、タクシー運転手になるため単身名古屋に出てきたこと。なぜ名古屋かだったというと、東京や大阪に比べて道が覚えやすかったから。以来26年間、独り者でやってきた。今は週に三日しか乗車しない。売上げノルマの2万円に達したら、その日の仕事はそれでお終い。欲は出さない。少々足りない場合は、自分のこづかいをつっこんで無理やり2万円にする。行き先がよく分からず道に迷った場合、怒りだす客は10人中1~2人程度、だいたいのお客は優しい。巨人ファンで、鹿児島にいた頃にはよくクルマで小一時間かけて宮崎キャンプを見に行ったこと………などなど。

 

 人の半生は聞いていて楽しいので、ついインタビューしてしまいます。これはいつも診療でやっていることです。治療者は患者さんに対して「人」として関心を持たないと仕事ができません。(プライバシーを聞かれたくないオーラの出ている人には聞かないようにしていますが。)老運転手さんも「愛嬌のあるお客さんで今日は楽しいわ」と言ってくれました。普通は名古屋でタクシーに乗ると、あの独特な言葉で迎えられるのですが、今日はそうでなく不思議な感じがしました。お参りが済むまで、タクシーさんには外で待っていてもらい、また名古屋駅近辺に戻ってもらいました。

つげ義春 「蒸発」に描かれた漂泊の俳人 井月(せいげつ)

 俳句の本を読んでいて、永らく忘れていた名前に出会った。「井月」である。「せいげつ」と読む。江戸末期から明治前期にかけて生きた文人である。多くの俳句を残したが、没後永きに渡って忘れられていた。平成になる少し前、その半生をつげ義春が数少ない資料をもとに漫画に描いている。それを学生時代に読んでいた。

 

 つげ義春(1937~)は、その独特な世界観に魅かれる多くのファンを持つ漫画家である。ただ、時期によって作風がまるで違う。特に有名なのは、三十歳前後に描かれた一連の作品群だが、長いブランクの後、五十歳を目前に全く作風を異にして再び読者の前に現れた。それが『無能の人』であった。(後に竹中直人氏が同名の映画作品に仕上げている。佐野史郎氏もつげ作品を映画化している。どちらもお勧めである。)

 

 

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 そこに描かれた世界は、若い頃のほの暗いロマンティシズムとはほど遠く、驚くほど枯れていた。池袋の書店で初めて手に取った私は、久しぶりの新刊を大いに喜び、中も見ないで買って帰ったが、帰宅して読んでみて大いに失望した。二十代の若者の目には、到底ついていけないみすぼらしい世界に映った。その中の一編に井月を描いた「蒸発」が含まれていた。

 

 

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  落栗の座を定めるや窪溜り

 

 

 歴代の名句を集めた本を読んでいてこの句を見つけたことが、井月を思い出すきっかけになった。その生涯にも関心が湧き、すでに散逸していたつげの漫画も今回あらためて買い求めた。

 

 再読してみて思ったのは「これは若い人にはきついわ」ということ。やはり年齢を重ねないと近付けない世界というのはあるのだ。つげさんがアラフィフで描いたものを今自分がその年齢に達して後を追っている。

 

 井月の作品は岩波文庫で読むことができる。素朴な味わいのある句が並んでいる。二十年俳句をやっている母もこの名は知らなかったという。今回は先輩に教えてあげる形となった。

 

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