故 小寺敏子先生の遺作『和訓 黄帝内経太素』上・中・下三巻を拝領しました

 先月のある晩、T先生とおっしゃる兵庫県鍼灸師の方から我が家へ電話があった。面識の無い年配の先生からいきなりお電話を頂戴し驚きを隠せなかったが、お話を聞いてみると、どうも先年他界された小寺敏子先生の勉強会の古い名簿に私の名前があったので連絡させて頂いた、とのことだ。

 

 T先生のお話によると、六年前に九十五歳で他界された、知る人ぞ知る日本古典鍼灸界の重鎮、小寺敏子先生が生前出版を計画されていた古典医書の編集と製本が、ご遺志を継ぐ人たちの熱意によってこの度ようやく完成したので、ご縁のある先生方に連絡しているのです、とのこと。

 

 確かに私は学生時代にしばらく小寺先生の鍼灸古典の講読会の末席に加えて頂いていたことがあった。しかし、二十年前、結婚と同時に阪神地方から京都市内への転居したことを機に兵庫県で行われていた小寺先生の勉強会からは全く遠ざかってしまっていた。そのような不義理な自分にとって、このお電話は全く予期しないものであり、恐縮のあまりT先生のご親切にお応えする言葉も即座には出てこない有様であった。

 

 この時はひたすらお礼を述べて電話を切ったのであったが、6月中旬の日曜日の夕方、今度は京都市内の若い鍼灸師のO先生からお電話があった。「T先生から出来上がった出版物をお預かりしてきました、これからお届けに伺います」とのことである。

 

 軽自動車で現れたO先生から「これです」とドサッと手渡されたのは、函入りの立派な三冊組の『和訓 黄帝内経太素』上・中・下三巻であった。これをT先生を始めとした編集委員の先生方が長い時間を掛けてまとめ上げて下さったのである。更に驚いたのは、この本の出版事業はすべて小寺先生のご遺産で賄われているので、代金は要りません、ということであった。O先生とはしばらく門前で立ち話をして丁重にお見送りした。

 

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小寺敏子先生著『 和訓 黄帝内経太素』

 

 さて、私の手元に残されたこの三巻で合計1,116頁の大著、出来上がった経緯を知りながら「積ん読」にしておくとすれば、それはどう考えてもあまりに罰当たりなことである。しばらく考えた末、毎日わずか1頁ではあるが、漢文として書かれている本文を書き下し文にしてノートに書いて勉強させて頂こうと決心した。返り点や一二点、上下点が振られているので決して難しいことではない。少しずつなら続けられる。

 

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返り点がすでに振られているのでありがたい

 こうして新たな日課として始まった朝勉の書写も半月が経ち軌道に乗ってきた。今は便利な時代で、理解できない漢熟語もスマホを使えばあっという間に意味がわかるのでとても助かる。漢和辞典や中国語辞典も持っているが、それらを持ち出してくる必要も今のところほとんどない。

 

 漢和辞典は生前小寺先生が「小さいのに大漢和辞典にも引けを取らない」と皆に勧めておられた文学博士 小柳司気太著 博友社『新修漢和大字典』所持している。これはいざという時のために手元に置いておくとしよう。

 

 これまで『黄帝内経素問・霊枢』も折に触れてずいぶん読んで来たつもりであったが、書を紐解くたびに我が臨床の血肉となっていないことを嘆くばかりである。しかし今、こつこつと先人の知的財産である古典医書を読むということの大切さをあらためて肝に銘じ、また新たな思いで進んでいきたい。皆様どうもありがとうございました。

 

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※『黄帝内経太素』について

(以下は、日本内経医学会 佐合昌美先生の2004年11月4日韓国ソウルに於ける大韓韓医学原典学会国際学術大会での講演資料より引用させて頂きます。)

 

「唐の高宗の時代(7世紀の後半)に活躍した楊上善の撰注による『黄帝内経太素』が、日本に伝えられたのは玄宗の時代(8世紀の前半)であろう。

この後、『太素』は中国では宋代にはすでにほとんど失われ、日本でも次第に伝承が明らかで無くなっていったが、江戸時代の末になって京都の仁和寺の書庫から再発見された。したがって、今日見ることができるまとまった内容の『太素』は、全て仁和寺蔵古巻子抄本(以下では仁和寺本と略称)に由来する。

この抄本は直接的には、1165~1168年に丹波頼基が書写したものであり、そのもとになったのは、一世代前の丹波憲基が書写したものである。
 8世紀の半ばまでに日本に伝来してから、12世紀の半ばに書写されるまでの間に、どのような経過をたどったかは必ずしも明らかではないが、何度もの転写が繰り返されたことは想像できる。以下略」

 

石田鍼灸 京都北山 (ishidashinkyu.net)